どうも。Sunshineです。ただいま3℃とかいう気温の中でキーボードを叩いています。指がガチガチよ。
今日は、妻が実家に帰省中のため、1人で家にいます。
そんな中、「1人の時間ってええなぁ」と思ったので、その気持ちを綴ります。
6年の一人暮らし生活を経て
私は、大学入学以降、実家を離れて1人暮らしをしています。就職後も1人暮らしを続け、6年が経った後に今の妻と結婚し、2人暮らしになりました。
結婚生活に不満はないし、今のところ楽しくやってます。
でも、ふと時々思うのが、
「1人になりてぇ」
と思うことがあります。
1人の時間が必要な私
私は内向的な性格です。集団の中で生活することがとても苦手なのです。
大学時代もあまり人と関わらず、仲の良い部活のメンバーとつるんでいました。
大人になった今、なぜこんなに人と関わるのが苦手なんだろう、と思うことが多々あります。
その理由は、2つあると思っています。
1つは自分自身が他人の感情にあまり興味を持っていないことです。他の人が、「これが良かった」とか「この前○○に行ってきた」とかいう話は自分にとって全く価値が無いように感じてしまいます。興味が湧いた時にはよく喋りますが、それはあくまで「物事」に興味があるのであって、その人自身に興味があるわけではないのです。だから、自分が大切だと思えるライン(家族とか親友とかのライン)を超えていない人たちと関わるときはどうしても「興味関心が同じ方向を向いているのか」「この人と関わって得になるか(あるいは、関わらないことによって損が生まれるか)」という損得勘定が優先されてしまいます。
そのため、大学時代には「音楽」という同じ興味関心を持つ奴らとつるむことができましたが、社会に出てみるとうまく立ち行かないのです。
2つ目の理由は、1つ目と全く矛盾しているように感じますが、集団でいる時に、あの人は今どんな気持ちなんだろうと考えてしまい、疲れてしまうからです。他人の感情に興味が無いのに、センサーは敏感なのです。自分でも矛盾した性格だなと思うのですが、人の感情を「察する」と「興味がある」のは別の動きなんだと思っています。
こんな自分にとって飲み会とかは最悪です。なぜなら、誰かがイジられてでもしたら、その人の気持ちはどうなんだろうとか考えちゃうし、そこにいない誰かの陰口でも始まろうもんなら、これを聞いたらその人はどう思うだろうとか考えてます。その結果、無茶苦茶に疲れます。常に自分の心の中の正義マンが、「おい、やめろ!」と偉そうに叫んでいるのです。集団にいるときはそんな声を常に聞いているわけですから、無茶苦茶に疲れてしまいます。
つまり、自分の性格は「他人の感情に興味はないけど、他人の感情を考えてしまう」とかいう無茶苦茶な性格をしているのです。
そんな性格だから、人といること自体がすごく疲れます。だから、時々人と接するのに疲れた時に「1人になりてぇ」と思う瞬間が来るわけです。
1人暮らしの頃は、「1人になりてぇ」と思わなかったです。なぜなら、そんなこと思う間もなく、家に帰れば1人だからです。
でも、結婚してから「自分には1人の時間が必要」ということに気が付きました。
1人の時間
そんな1人の時間、何をするかというと、特にありません。普段通りのことをします。
1人の時間を過ごしていると、ふと、「楽やな」と思う瞬間が来ます。
その時に、「知らず知らずのうちに気疲れしてたんだな」と気が付くことがあります。その気持ちに気づく時間が大切なのです。
ふぅっと一息付ければ、また明日から好きじゃない集団生活に飛び込んでいけるのです。
結婚する前は、「これで一人暮らしからはおさらば」なんて思っていましたが、一人暮らし生活を失ってみると、「1人になりてぇ」となる。なんと矛盾しててわがままなんでしょう。でも、これが人間なんだなと思います。
自分のための自分だけの時間。この時間をこれからも大切にしていきたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
普段は常体なのになぜか敬体になっていたことを書き終わってから気づき申した。